ペプシの歌おうぜ!キャンペーンでWii+ソフト2本が当たっちゃった

私は昨年からペプシネックスが気に入って、飲料水代わりに毎日のようにペプシネックスを飲んでいる。
毎日飲むため、1.5リットルのペットボトルを常時2~3本はストックしている。

6月から、そのペプシネックスのキャンペーンが始まったので、我が家では相当数の応募ができるだろうとせっせとインターネットで応募していた。
7月末迄、何回トライしたことか。その度に外れの連続で、もうあきらめかけていた。

それが本日、その日の3回目の挑戦、スロットを回し、ストップを押す瞬間、テレビドラマに目をやった隙にマウスのボタンを押していた。
それからおもむろにPCのディスプレイに目をやると、何と大当たりしているではないか。

おもわず、『ヤッター!!』と声が出てしまった。

応募したのは、当然、Wii+ソフト2本。
景品が我が家に届く日が待ち遠しい。

追記:7月は1日から仕事でトラブル続きであったが、8月に入ってすぐにラッキーな事があったので、今月はきっと良い月になるだろう。と心の中で願っている。

毎年恒例の豊平川花火大会

毎年7月に開催される豊平川の花火大会。
今年は、7月24日(金)に『道新・UHB花火大会』、7月31日(金)に『朝日新聞・HTB花火大会』が開催される。

昨年、初めて豊平川の河川敷に行き、間近で見て、その迫力に魅了されてしまった。
私は、北見紋別の出身で、そこでは毎年、港祭りのメインイベントとして花火大会が開催され、毎年欠かさず見に行っていた。

紋別を離れてからは、花火大会を見ることも無くなっていたが、昨年はふとしたきっかけで河川敷で見ることになり、その迫力と華やかさに、あらためて魅了された。

それで、今年もと思い、今日、『道新・UHB花火大会』を見に豊平川河川敷まで出かけて観賞してきた。

最初は、携帯のカメラで写真を撮っていたが、途中からは花火を見るのに夢中になり、山場にさしかかっても写真を撮るのを忘れてしまった。

Bフレッツマンションタイプ~速度が遅い何とかすれ~

インターネットが一般家庭に普及しだしてから思うこと。

インターネットは当初、限られた団体で使われていて、その当時は同軸を使ったLANで、速度は決して速くなかった。
また、端末もそれほど高性能ではなく、メールやNewsと言ったテキストベースの情報流通が主流であった。
離れた場所への流通は、UUCPを使った低速回線での流通も結構多かった。

私が最初にLAN環境に接した職場では、同軸ケーブルを自前で配線したものだった。

ところが、インターネットがビジネスとして使われだし、一般家庭でも使われるようになると、電話や電気のように、何時でも快適に使えるのが当たり前として受け取られている。
一般的に、インターネットインフラ提供事業者のADSLやBフレッツといったサービスは「best-effort service」として提供されている。
専用線のように、帯域やら速度を保障しないかわりに、マスユーザでも利用できるように安価な料金で提供されている。
それでも、昔のインターネットから見ると、はるかに高速で安定性も品質も高い。

安い料金で利用できるようになったサービスに、高価な専用線のような品質を求めるのは虫がよすぎる話だ。
速度が遅いから金返せなんて言うユーザには、それでは多少、高価になりますが専用線をお勧めします。
なんて、言ってみたいものですね。(ハードクレームに悩む中間管理職のぼやき)

悲しい出来事(その4)

6月の始頃に亡くなった私の元スタッフの礼拝に行ってきた。

葬儀には、仕事の都合もあり参列できす、すっと気になっていた。

彼の死から何日もたたずに、また一人私の元スタッフが病死。
それ以後、何か気になり、彼は私にお参りに来いと言っているようで、とりあず、残された奥さんに連絡をとり、7月4日に仏前にお参りさせて頂きたいとアポを取った。

葬儀は6月2日に取り行われたので、49日前にお参りをと思って7月4日を選んだ。

7月4日、彼の自宅をようやく探し、玄関をあけると、奥さんが出迎え、今日が49日であると告げられた。

まったく予想していなかったため驚いたが、取るものも取り合えず、仏前に手を合わせた。
そして、思わず、涙がこぼれてしまった。
仏前の写真は、少し笑顔をたたえている写真。
何が彼を死に追い込んだのか。写真の笑顔からはそれを汲み取ることができない。

立て続けに2人もまだこれからのスタッフに先立たれ、家族も辛いだろうが、私もとても辛く、強烈なショックを受けてしまった。

血が騒ぐ出来事

7月1日からまる2日間に渡る私の勤めている会社の提供するサービスが停止する出来事があった。
40代前半までは、サービスを提供する技術部門の最前線で働いていて、サービスが停止する事態になった時は、サービス回復に向けて先頭に立って指揮をとっていた。
時には2日も3日も寝ずに故障探索を行い、スタッフの先頭に立って動き回ったものであった。

今回は故障受付部門として、回復までまる2日、後処理も含めると3日もの間、終始、情報収集やら苦情処理やらに追われたが、身体に染み付いた行動パターンがそうさせたのか、思わず先頭に立って行動していた。

若い頃に身体で覚えた行動と言うかDNAと言うか、最近は忘れかけていたエンジニア・スピリッツが久々に覚醒し、血沸き肉踊るという表現がピッタリする出来事だった。
(被害を受けたお客様には失礼だが・・・・)

幾つになってもエンジニアはエンジニアなんだと思った。