カウンセラーとの出会いからもう3年・・・・

カウンセリングを受けるようになってから3年目の春を迎える。

今は精神的なストレスを旨く発散させるゆとりがでてきたのと、カウンセリングを受け続けることで、自分の悩みを共感してもらっているという安心感、更に、最近、古い友人(入社時の自分を良く知っている人)との出会いがあり、そこでも本来の自分をさらけ出し、互いの出来事を共有できるようになったことが好循環となっているのだろう。

この調子で行けば、そろそろ薬による治療が必要なくなる日も近いのではと思えるようになってきた。

たまたま昨日(3月7日)、Webで「1人で行う、自分へのカウンセリング法」が目にとまり、このカウンセリングを受ける結果となった出来事を振り返ってみた。

2005年の2月から3月にかけての出来事で、某H大学のシステム運用をオンサイトで行っているグループの体制について検討を行っていたが、上司と親会社の課長や、私のスタッフとの間にあって大変なプレッシャーを感じていた。

対策案をスタッフと検討しては上司へ説明し、親会社への説明、親会社からの対策案の修正を求められたり、上司の強引な修正変更を強いられたり...と毎日がプレッシャーの連続だった。

そんな中で私の53回目の誕生日の前日になって、突然上司から、現地のスタッフに説明するための同行を強要され、家族がお祝いに準備をしていたのにと言う言葉を振り切って行かざるを得なかった。

断れば断れたのかもしれないが、その時の私の無意識の心の中には、上司からの評価を下げられたくないと言った思考があったのかもしれない。

それまでの私は、どちらかと言うと、常に一番でありたいとか、人に認められたいとか、自分の達成感より、人の評価を気にするようになっていた。

それが、次第にプレッシャーとなっていたところへ、自分の誕生日の上司の行動に、「上司は信じられない」「裏切られた」との思いが引き金となって、「もうやってられない」と一揆に爆発し、そのまま会社を休職した。

こうして振り返ってみると、いつしか自分の達成感のために仕事をしているのではなく、人に良く思われたいとか、上司に評価されたいとかが仕事の目標にすり替わってしまい、自分で自分を苦しめていた。

今は、最低のレベルまで落ちたことでもう、評価を気にすることもなくなってしまったし、自分の本当の夢とか、やりたかったこととかを問い直す時間ができ、打ち込めることも見出せたし、昔の在りのままの自分をさらけ出せる友人に出会ったことで、心の安心感とかゆとりが出てきた。

もちろん、カウンセリングの存在も大きかった。
カウンセリングを受けることは日本では大きな抵抗があるが、家族の支えもあって今のカウンセラーに出会えたことも自分にとっては幸運だったと思う。