今年の元旦が雪も降らず、穏やかな正月かと思ったら、2日目は雪が深々と降り注ぎ、だけど静かな深夜。
私は1952年4月2日(昭和27年)に、紋別郡滝上町に生まれました。
年が明けたが、昨年、図書館の女性職員が行方不明となった町です。
私が生まれた頃の滝上町は、木材が主な産業だった記憶があり、冬には丸太を積んだ馬ソリが往来し、小学校への登下校時は馬ソリにつかまってよく怒られた記憶があります。
家はお世辞にも裕福とは言えず、冬になると家の中でもシバレル様な寒さになる、そんな家に住んでいました。
滝上町には、小学校3年まで住み、その後、紋別市に移住し、紋別南高校を卒業して、当時の電電公社、紋別電報電話局に就職。
それから現在に至るまでの40年間、転勤を繰り返しながら転職もせず、このまま2013年3月の退職を迎える事になるんだろうと思っている。
振り返れば、人生の2/3を会社勤めに費やしたことになる。
結婚は25歳の時で、30代から40代半ばまでの一番、気力が充実し、一番家族との大切な時期を仕事一筋に過ごしてしまった。
当時は、通信設備が急激に電子化されだした時代で、私も東京の電子交換機のソフトウェア開発部門にいて、朝早くから出勤し、深夜に帰宅する毎日を過ごしていた。
当然ながら、当時、小学校の通う子供達とはほとんど顔を合わせることのない日々が続き、父親不在の家庭であったことを思い出す。
そう言えば、私の父親も森林伐採の現場に長期間でかけ、父親と顔を合わす機会が殆どなかったような・・・歴史は繰り返すものなのか・・・
今、60を迎えるにあたって、希望に燃えて入社し、自分に与えられた仕事に誇りと充実感を持って取り組んできた30代、それが、社会の需要の変化に追随できない会社の中で翻弄され、プライドも引き裂かれ、今はただ毎日が時代遅れの設備のメンテナンス業務のルーチンワークに組み込まれて過ごす毎日である。
昭和27年は第2次ベビーブーム世代と言うこともあって、周りは同世代の老人の溜まり場・・・・
私は早くからパソコンに興味を持ち、当時高額であったPCを早くから所持していた。最初のPCは、日立製のベーシックマスターだった。
メインメモリが16k程度で、外部記憶装置はテープレコーダ。
それが、今は・・・・
私は生まれた日の前日には琉球政府が発足。沖縄がまだ米国の占領下にあった年である。日本が第二次大戦に敗戦し、国連軍の占領化の時代がようやく終焉を迎えようとする年である。
4月28日には、対日講和条約・日米安全保障条約発効.GHQ廃止。
7月1日には東京国際空港(羽田)が業務を開始し、住民登録が行われるようになったのもこの年である。
還暦とは、干支が一巡しすることで、人生にとって、新しく生まれ変わる年である。
そこで、今年の抱負として、退職までの1年間、私が生まれてきてから現在までの記憶に残る出来事を振り返るとともに、その時代時代の出来事についても触れてみたいと思う。
ちなみにこの年の流行歌は、美空ひばりの「りんご追分:や春日八郎の「赤いランプの終列車」らしい