新たな職場で・・・・

8月1日から職場が変わりました。

前の職場は直接、お客様と接しない仕事で、我社の中でも基幹業務の座を明け渡す職種だったこともあり、非常に落ち着いた居心地の良い職場であった。
人数も一人一人把握できる小規模な課で、慌しさも無く、ほぼ定時に帰社出来たので身体が楽だった。

こんどの職場は大所帯で、24時間サービスの仕事でしかもお客様のクレーム対応の仕事なものだから気が重くなってくる。
社員も、勤務地は替わっても延々と同一職種をこなしてきた人ばかりで、我侭で井の中の蛙・・・で、その道に長けていて変化を好まない変わり者の集団。
会社に対して我侭が何でも通ると思っている人が多く、管理者は苦労しているような....

君らの働きがどれほど収益を上げているかなんて、全然気に掛けていない人々の集まり。
収益が出なければ支出を抑えるのが当たり前なんだけど、そんなこと考えていないようで...
先が思いやられる。

いっそ、徹底的に効率化を追求してみようか。
別に北海道になければならない仕事ではないから、全国集約もおもしろいかも...

私の中のサミットが終わった....

洞爺湖サミットは7月9日で終わっていたけれど、私の中では依然続いていた。

たかだか3日のために何ヶ月も準備し、そして7月31日迄、慌しく撤収。
サミットのために創った組織に兼務発令され、寄せ集め集団は所詮、寄せ集め集団。

出身組織のエゴが渦巻く中で、身体も精神も疲れ果て、上司一人が満足して解散。

色々あったけど問題点は表面に出ず(出さず)、結果的には成功したように収めてしまう。
これがこの組織の力か。
本社への報告書も良かった点だけを強調し、問題点はお茶を濁し、次回への糧とはならない報告書となってしまっている。

自分の保身のため、敢えて改善点は報告しない。
旨く行ったものだけが引き継がれていく。

そして全てがハッピーエンド。

最後の解散ミーティング後、ハッピーエンドの人達は絆を深める飲み会へ。

こんな奴等とは一時も早くサヨナラ。
私は8月1日から新しい職場へ。

私の中のサミットがようやく終わった。

環境サミットって???

3連休後の出社。この4週間、休日無しで働いてきたせいか、燃え尽き症候群のような虚脱感に襲われ、1日が長く感じられた。

事務所には、サミット会場からの撤収品が山積みとなっている。事務所に収まりきらないものは2箇所の倉庫に保管している。
これらは、未使用の物は他の工事等で利活用できるが、一度使用した小物は産廃として処理することに。

ダンボールや書類はリサイクル処理となるが、それにしてもわずか3日間の会議のために膨大なゴミを出してしまうなんて、何が環境サミットか。

明日も倉庫に保管している撤収品の整理があるが、半分は産廃として処理することになるのだろう。
消費大国『日本』、サミット会場では、リサイクル可能な素材を使っていると宣伝していたが、目に触れる所ではそうかもしれないが、現実はそんなものではない。
何と無駄の多いことか.....

カウントダウン

洞爺湖サミットも終わって撤収作業も山場を越えた。
サミットのためだけに開設した現地事務所の撤収も18日で終える。
準備段階から含めるとどれだけの人と時間と費用を費やしたのか、採算がとれる事業だったのかとても疑問だ。

ま、とにかく今月末で私の所属する事務所も解散。
来週の25日には発令がある予定。
やっと開放される。
事務所に掲げられたカウントダウンの数字も2週間をきった。

この4週間はほとんど休日無しで働き、体力も限界。
8月に入ったらしばらくは休養。
少し、趣味に没頭したいと思っている。

従兄弟の死

一昨日(7月8日)、数少ない私の父方の従兄弟が亡くなった。享年53歳。現在の御時世で言うと若すぎる死である。

幼少の頃父親を亡くし、私が滝上に住んでいた頃、しばらくは私の両親の家で、私達兄弟と共に生活をしていた。
従兄弟は2人兄弟で、兄の方は私と同い年。弟は私の弟より1歳年下。とても仲良かった記憶がある。
従兄弟の母親は再婚もせず、一人で従兄弟を育て上げ、今も健在である。
互いに結婚してからは、あまり交流はなかったが、年賀状で互いの近況を知らせあっていた。

アウトドアが趣味の健康な従兄弟であったが、癌を患い、闘病6ヶ月での死であった。

葬儀で死に顔を拝見したが、やせ細ったその顔は、闘病のすさまじさを物語っていた。

従兄弟の顔をさすり何度も名前を呼びかける叔母の姿は痛々しく、見るに忍びなかった。
長寿大国日本。年々、女性の平均寿命が延びるにしたがい、子が親より先に旅立つことが当たり前の様になるのだろう。

葬儀を終えて帰途に就く電車の中で、ひどく感傷に浸ってしまった。